2011/11/20

落合さんが今の記者にあまり発信しない原因の一つ?

世談11/11/20 中日新聞 いつか、聞きたい

のっそりと落合博満さんが選手食堂に現れた。「何が聞きたいの?」1993年、選手として中日に在籍した最終年だった。当時私は運動部のドラ番記者一年生。彼の談話はいつも「打ったのは真ん中まっすぐ」だけだったから原稿に苦労した。
その日はナゴヤ球場で1点を追っていた。終盤、2死1塁で打席に。外角球を猛烈な当たりで右翼線に二塁打。狭い球場で一走をかえすにはあれしかない。「右へ二塁打、計算通り」と書きたくて取材を申し込んだ。
私が原稿の構想を話すと「違うな」とニヤリ。「風はどうだったっけ?」と逆質問された。「両ポール際に追い風でした」と私。
「なら投手は引っ張って本塁打される内角には投げない。外角を押し込み、右ポール際を狙った。二塁打じゃない、本塁打を、だ」。ホームラン打者はそうすると。「だから、あれは打ち損じ。真っ芯に食らい過ぎた」。目からうろこ。原稿は「四番打者打ち損じ、勝利演出」と書いた。
記者席から何を見るべきで何を書くか。以来、ずいぶんと野球を学ばせてもらい、多くの言葉を読者に伝えてきた。監督としてなぜ、今の記者たちに発信してくれなかったのか。その理由をいつか、聞いてみたい。
(社会部長・齋田太郎)

 思うに、「四番の打ち損じ、勝利演出」という記事が、落合さんが今の記者に発信しなくなった原因の一つではないか、と思えた。
その題では、「ホームランを打ち損じた4番打者」というメッセージが読者に伝わる。
だけど、伝えたいのは、ホームランを打ち損じたことではなくて、これしかないという1走を返した強烈な二塁打の裏にある、打球の読みと、ホームラン打者のプライドとか矜持みたいなものじゃないのか。
にわかファンだけど、プロ野球選手が、一球一打に生活をかけているなら、それについての記事も最大限伝え方に配慮すべきだと思う。
「落合打ち損じ」という記事は選手も読むし球団関係者も新聞読者の何万?という人が読む。それで、選手生命に影響したらと思うとほんとに怖い。

もちろん、選手に了解を得て記事にしてるんだから、選手の意図どおり記事にしてると言われるのかもしれないけど。


「いつか、聞きたい」って題だけど、自分の記事が原因やないかと突っ込みたくなった。

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