児童文学のコーナにあった本を、いい年のおっさんが読んで泣く・゚・(つД`)・゚・ ウェ―ン
表紙もタイトルも、図書館で見ても絶対手に取って読もうとは思わない本
表紙でも損してると思う。
あらすじは、おばあさんに、孫のようこがリカちゃん人形を頼んだら、リかという名の市松人形が送ってくる。、それが、言葉をテレパシーで話が出来る人形で、その人形と話せる感覚を身につけると、他の人形の言葉も聞けるようになる。それで、他の人形の悩みを聞いて解決していく物語。
こういうと、陳腐に聞こえるけど、おもしろんだ。
文章が脳に近いところまで飛び込んでくる。
高島先生の悔しい気持ちや比佐ちゃんのつらい気持ちもわかるし、人形のアビゲイルの使命感も分かる。汐汲みの気持ちも分かる。
恨みのこもった人形は恐ろしい。人形の話を聞き、悩みを解決するのは人形を満足させるだけじゃなくて、それを打つた家庭を安らかにする効果もあるのかなと。
"人形に性格をもたせるのは簡単だ。人形は自分にまっすぐ向かってくる人間の感情を、律儀に受け取るから"
人形とテレパシーで話すのは突飛だが、魂が宿るという考えは、人形供養があるので普通の感覚だ。魂がやどっているとみなすものが、喜んでいる悲しんでいる恨んでいるなどという感覚を抱くのも自然だ。
上の、人形の悩みにしても、その悩みはその家庭を写したものといえるかもしれない。
人形は、その家庭を見守って、起こったことを記憶しているのかもしれない。そういう意味で、誰もいない部屋に飾られる人形は可哀想かもしれない。
しかし、「りかさん」では、別に永遠に可愛がれと言っているわけではない。そんなことは無理だ。
可愛がりたい時の作法を提示している。その作法が、宗教の二拍手一礼のような、人形への愛情を生むたまの儀式なのかもしれない(かもしれないばかりだけど)
オタクの部屋にラブドールがたくさんある動画を見たことがある。動かない無機物である人形に名前をつけ可愛がる様は異様だった。ナウシカの中で、クシャナの母親が、頭が狂う薬を飲まされ、人形を自分の娘と思い込む描写があった。
"大人が人形を抱くと角が生えて般若になる。"
やはり、人形を可愛がるにも適切な時期や距離感があるのかもしれない
梨木さんのテーマは、すべてのもの、木にも無機物に魂があり、会話をするように関心を持ちたい、動かないものでも生活に関わっているんだ、無視したりないがしろにしてほしくない、というのがあるような気がする
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