2012/11/27

憲法は「押し付けではない」 この人から受け継ぐもの 井上ひさし

ほとんど同じ時期に、憲法は押し付けられたものではないと、押し付けであるという正反対の意見を見ました。
それぞれの意見を引用して紹介します。
憲法の芽は第二次大戦以前の大正デモクラシーのころにあり、日本の敗戦を期に、民主主義を取り戻すために、国会の議論を通して作られたものです。
(以下引用) 
昭和二十年から二十一年にかけて百六十いくつの民間憲法が出来て、そのいいとこが全部入ってます。それからアメリカの独立宣言から、フランスの人権宣言、国際連合の憲章、不戦条約、すべて入ってますから、あれは押し付けられたものではなんでもないんです
(引用終わり) 
 ということです。
  (長いですが、以下引用)
この人から受け継ぐもの 井上ひさしから
憲法は「押し付けではない」 
p19ここまでまとめますと、吉野作造博士がいうのは、憲法は国民が時の政府に向かって発する命令です。だから憲法は国民の側から時の政府、これはいろいろ政権が変わりますが、とにかく時の政府に向かって発している命令の束です。法律は時の政府が国民に発する命令の束です。常に憲法は法律に優先する。今僕らがそれが常識みたいに思っています。そして政府の法律が国民が発している命令に合っているかどうか、それを試すためにもう一つの司法が必要である。つまり今でいう最高裁判所です。
 日本の最高裁判所は戦後出来て、あまり仕事をしていませんが、本当はもっと仕事をすべきです。政府が作る法律が憲法と整合性を持っているか、違うか合っているかということを国民に代わってやるのが、最高裁判所の本来の仕事です。だからわれわれは裁判官を審査するわけです。なぜ裁判官を審査するかというと、最高裁判所の裁判官たちは、政府がたくさんの法律をつくりますが、それは憲法の下位概念ですから、憲法に合っているかどうか国民に代わって常にチェックして行かなければいけないからです
 これが吉野博士の中心的な考え方です。ただこれは当時としては、かなり危険な考え方です。今は普通ですが、私たちが吉野作造 のそういう基本的なことを理解しているかといえば、ちょっと疑問符がつくと思います。 昭和二十年から二十一年にかけて、新憲法制定とかいろんなことがありました。今日本国憲法が「押し付け」であるという論者がかなり増えてきましたが、こらは全く卑怯な、しかも実情に合わない俗説です
 というのはポツダム宣言、あれは条約ですが、あの中に日本の「民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去すべし」と書いてあります。日本は戦争に負けたために、あの条約を受け入れた以上、あそこにあるもの全部実行しなければ条約違反ですが、日本にかつてあった民主主義的傾向を復活させろというのも条件の一つです。
 それが何を指すかというと、大正デモクラシーです。実は第一次大戦が終わって、あまりにひどい戦争だったのでみんなショックを受けて、国際連盟ができます。ペンクラブもそのへんにできたのですが、世界がもう戦争をしない、話し合いで全部すませていこうという世界的な流れができたときに、日本にもデモクラシーという大きな波が、それまでの準備で盛り上がったわけです。
 それがやがて昭和に入って、統帥権の独立、つまり天皇あるいは宮中と軍部がいかに国の運命を決めていくようなになる。満州事変で関東軍が独走しますよね。これはいろいろな問題があったのですが、独走したのをよくやったと勅令で天皇が認めます。そうすると軍部は、満州事変のように自作自演でほかの国に攻めていく方法を天皇が認めて下さったので、それからは功名争いみたいに、どんどん軍部が独走していくわけです。だから昭和天皇に責任があるとすると、その一点です。満州事変を勅令で認めてしまったということは昭和天皇の責任であろうと僕は思います。それは昭和天皇個人というよりも、周りです 。
 いずれにせよ、そのへんまでは吉野作造博士や河上肇博士、もちろん草の根に至るまで、大きな動きとして国民一人一人の顔がはっきりしてきました。そして、たとえば吉野作造が言ったように、もう少し天皇のやり方を制限して議会と憲法でやって行かなければだめだ、政治は国民がもとになっていなければだめだという動きが、大正時代に盛り上がったわけです。ポツダム宣言はそれを指しているわけです。 
 だから押し付けというよりも、昭和二十年後半、四十代より上の人たちは、それは昔あったじゃないかという感覚だったのではないでしょうか。僕の表現で言うと、古い子守唄がふと聞こえてきて、そう、そういう時期が日本にもあったんだよということです。だからあの憲法を、世論調査で80%ぐらいの高い確率で歓迎したわけです。そして戦争中のように、天皇とその周りがあまり権力をふるわないなら、あるいはほとんどふるわないなら天皇制を認める。そういう世論調査がたくさん残ってます。
 戦後、日本が日本国憲法を受け入れたのは、日本にはその下地があったからです。民主主義というか、当時は「民本主義」です。作造自身も後半には「民主主義」という言葉を思い切って使っていますが、そういう動きが作造をリーダーとして日本の各層にあったために、あの憲法はすんなり受け入れられたのだと思います。
 アメリカ政府、ブッシュ政権がイラクの戦後について、日本を管理占領した時代のやり方でやるのだというのは、歴史的認識としては間違いです。イラクはそういう時代がなかったわけです。サウジアラビアは今でも憲法も議会もないんです。だから遅れているという意味ではなく、日本にはそういう素地が完璧にあったわけです。
 ですから日本国憲法は押し付けらたわけではなく、強いて言えば、アメリカが思い出すきっかけを与えてくれた。なおかつ日本国憲法の中には、昭和二十年から二十一年にかけて百六十いくつの民間憲法が出来て、そのいいとこが全部入ってます。それからアメリカの独立宣言から、フランスの人権宣言、国際連合の憲章、不戦条約、すべて入ってますから、あれは押し付けられたものではなんでもないんです。日本人がもともと持っていたけれども、途中十五年間、司馬遼太郎さんの言い方で言いますと鬼胎、鬼から生まれた子供がそれを隠していたということだろうと私は思ってます
 つまり吉野作造が理想とした、あるいは当時説いたことが、いま実現していないのです。拉致問題はアメリカ政府が本腰を入れて日本政府が助けて、結局、なんでも議会を外している。拉致問題は国会全面的に討議すればいいと思うんです。どうしたら拉致された人を取り戻せるかということを、議会で議論しないで、結局は議会の外ですべてが決まっていくというのは、昭和初期と同じ政治のあり方です。
(以下引用)

「日本を変え、日本人を変える」 石原慎太郎 文藝春秋 2012/12
憲法改正より新憲法を作れ
なぜこの国、そして日本人がここまでおかしくなってしまったか。それは根本的なこと、最も肝心な問題から目を逸らし続けたからです。
 その最たるものが、占領軍によって押し付けれられた醜い日本語で綴られた日本国憲法にほかならない。日本の自立を縛り付けるこの憲法を、アメリカがどれほど高圧的に与えたか、白洲次郎氏から度々聞かされたものです。
 現在、日本はシナ、韓国、ロシアの三国によって、領土への不当な攻撃を受け、北朝鮮には同胞が拉致され、今なお解決に至ってない。しかも、シナ、ロシア、北朝鮮はいずれも核兵器を保有し、事あるごとにその牙をちらつかせて恫喝を繰り返している。こんな状況に置かれている国家が、世界中他にどこにありますか。にもかかわらず、その国の憲法では、集団的自衛権すら否定され、領空領海に対する侵犯すら極端な自制を強いられている。
 弊害はそれだけにとどまらない。「絶対平和」という空想的な理念を植え付けられた日本人は、自らの安全が決定的に脅かされつつあるという現実認識や、振りかかる火の粉は自分で払うしかないという常識すら失うに至っています。さらに、権利のみが強調され、それに伴う義務を軽んじた憲法の歪みが、日本人の我欲を培ってきた面も、忘れてはならない。
 どんな法学者に聞いても、占領統治下に占領軍が作った統治のための基本法に、独立を果たした後も拘束されるなどというケースは世界的にも存在しない。美濃部達吉、清源一郎、共産党の野坂参三までもが、この憲法の無効性を訴えてることも思い返す必要がある。
 実情が合わないどころか国家の危機すら招き、正当性も疑わし憲法を、日本人は自らの手で作り直す必要があります。もはや個別の条文を姑息に少しずつ手直ししたりする「憲法改正」は迂遠にすぎる。今の憲法を廃棄し、すでに作らている幾つかの草案をもとに、新しい憲法を作るべきです
(引用終わり)
 安倍改正案にみるような、人権の上位を、公共の福祉から公益の秩序に書き換えるよな考え方なら、改正には賛同出来ない。戦争の放棄を問題にしてるのはわかるけど、それ以外に具体的にどこが醜く変えるべきといっているのかわからない。国の秩序のために国民の命が失われても構わないと取れるよな新憲法を考えているなら、賛同出来ないし、石原維新に投票もしたくない
ただ、目を背け蔑ろにしてきたものに向きあうべきという考えは、尖閣にしても憲法にしてもそう思う。
安倍さんの金融緩和に反対した民主野田さんに対する再反論で、金融緩和は白川総裁の恩師の学者も支持しているといっていた。上の石原さんも美濃部達吉など著名人の名前を出して、主張を強化しようとしている。権威者がいってるから正しいんだという主張は、説得力はあっても、その中身を何も保証しないんじゃないかと思ったりする。
 逆に井上ひさし氏の方も、ポツダム宣言は条約だから守るべきというのは、敗戦時に否応なく結ばされた条約なので、必ずしもいつまでも守るべきものではないとは思う。

思うに、井上ひさしの上記の本にあったんだけど、

ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」では日本のことをclient stateと書いている
client stateとは
client stateの意味や和訳。 【名詞】【可算名詞】〔大国の〕従属国,依存国  
client stateとは。意味や和訳。顧客国:政治的・経済的・軍事的に他の国に依存した状態の国
憲法で戦争を放棄し軍備を放棄したから、国防とか意識が自立国とは違った異常な状態。危機に対してはアメリカに全面的に頼ってしまうしかない状態になったということか。それを醜い日本語で綴られた日本国憲法と。  
(以下引用)
強いられた死、幻想の回路 同じく「この人から受け継ぐもの」井上ひさしから
 アメリカの場合は、作戦前に参謀たちが集まって、数字の上だけでも、とにかく生還率が50パーセントを超さないと、その作戦は採用しないという厳重なルールがあるのです。三十パーセントしか生還率が見込めないけど、作戦の立て方あるいは表現のしかたで、六十パーセントあるからやろうというようなことはたしかにあったかもしれませんが、建前としては、「半分以上の兵隊が帰ってこない限り、その作戦はやるべきではない」という不文律があるのです。
 ところが、日本の場合は、生還率十パーセントなんですね。「九死に一生」というのはまさにそのことです。百人の兵力を投じて十人還れば、その作戦は採用してもいいということなです。ですから、決して、人の命を大事になどしていない--大事にしていたら戦争は出来ないわけですけども、一銭五厘の召集令状ひとつで若者をかき集めて、その人たちに「死ね」という命令をした人たちがいました。今度は、死んだ若い人たちがもう何もいえないことをいいことに、その人たちを勝手に選別して、勝手に神様にして、そして、天皇のために忠死したものすべて神様になるという幻想の回路を作った。さらにまた次の若い人たちをその回路にはめ込んで死にに行かせる。僕は、こういう構造は、頽廃しきっていると思います。
(引用終わり)
紙切れ一枚で死地に赴けははゴメンだな。。国を守るのに軍事力も必要とは思っていても、いざ自分や家族がとなると、ちょっと待てって思う。

憲法の国会での議論
「権利行使には義務が伴う」ってのは社会党の主張だったんだが・・・(ブログ)hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
長くて、文章も古いし難しい漢字もでてくるので読みにくいけど、確かに、国会で議論されて文言が吟味されてる。なので、押し付けられたものではないです。これすら社会党という左翼がつくったものだから認めなられないという話になるのかな。

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