------------引用---------------
私のもとには、多くの今を悩み、苦しんでいる子どもたちからの相談がきます。
「死にたい」「いじめたやつを、殺してやる」、「今から死にます」。このような切羽詰まったメールも、毎日数限りなく度ときます。私は、必ず、こう返事を書きます。
「水谷です。人のために何かをしてごらん。返ってくるありがとうの言葉や、優しさが、君の明日を開きます。こういう宗教的な言葉って好きなんだよな。
君の生きる力になります。
自分の今と、自分のことだけを考えるのをやめて、人のために、誰かの笑顔のために生きてごらん」
今が、どんなにつらくても、生きてさえいれば、
誰かの笑顔のために、生きていれば、必ず、幸せが返ってきます
----------引用終わり----------------
実際、それで救われ立ち直った人もいるとか
誰かのために、誰かの笑顔のためにってのは、ひとつのキーワードかもね
宮崎駿は逆で、
引用----------------------のように、生きねばと叫んでおりません、にすごくほっとする
ポスターに僕が書いた「風立ちぬ」という字よりも大きく「生きねば」と書いて。これ鈴木さんが番を張っているなと、僕は思ったんですけど。そういうことになって、僕が「生きねば」と叫んでいるように思われているますけど、僕は叫んでおりません。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130906/k10014356721000.html-----------------
誰かのためになんて、自分のためにもできないのにって、大変だなぁって思う
----------引用-----------「汝の手に耐うることは力を尽くしてそれをなす」やっぱ、僕にはこっちかな
宮崎:僕の尊敬している作家の堀田善衛さんが最晩年にエッセーで旧約聖書の「伝導の書」というのを「空の空なるかな」というエッセーで書いて下さったんです。
その中に、「汝の手に耐うることは力を尽くしてそれをなす」という文章があるんです。(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130906/k10014356711000.html)---------------------
自分のために全力でやってるのが美しいであって、しかし、それは幸せな未来を保障しない
むしろ、間違った方向であるか可能性があって呪われている方向かもしれない
でも、それでも、「汝の手に耐うることは力を尽くしてそれをなす」の生き方に後悔はないだろうと
それが、映画「風立ちぬ」のメッセージだったかなと
自分の力でなんとかなる範囲については、全力でします。美しい生き方を求めますか
誰かのために、誰かの笑顔のために行動しますか
結局、自分がしっかりしないと、誰かのためになんかならないわけで
夜回り先生も宮崎駿も、自分の手に耐えうることは力を尽くすって点は同じなのかもな
生きねばって言われるのは、重いし苦しい
新聞を読んだときは、自分がその方針を選べば、明日が開けるし、力が出てくるのかなという感じだった
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