D博士は二週間の長きにわたって。ニワトリたちへのエサの供給を完全にストップした。いわば、絶食を断行したのである。
すると、ニワトリたちは衰弱するどころか、どんどん元気になった。ボロボロカサカになった羽が、まるで落葉するようにきれいさっぱり抜け落ちて、代わりにツヤツヤと光沢のある美しい羽が身体をおおった。ヨタヨタしたものが、ハツラツと動きまわるようになった。そして、絶食終了後二週間すると、一月程前に産み落とした最後のタマゴよりもひとまわりもおおきな、殻のしっかりしたタマゴを産み落とすようになった。D博士のアドバイスに従い、のべつまくなし方式のエサやりを止め、間隔をおくようにしたところ、以後三年間、頻度は落ちたが産卵能力は衰えなかったという。
おそらく、間断なくエサを与えられ続ける肉体は、養分吸収能力そのものが極端に衰えていた。さらに片時も休息を与えれれない消化器官の疲労は、肉体全体の老化を早めた。
それが、絶食によって、回復の機会を得たのであろう。
ますます情報過多になる社会で、脅迫観念に追いまくられるように、あるいは中毒患者のように情報に飲み込まれづづける現代人が、のべつまくなしエサをついばみ続ける鶏卵工場のニワトリに見えることがある
---------------------------------------------------------3食規則正しい食べるのが健康にいいんじゃなかったのか?嘘か?
twitterの佐々木俊尚のブログでも断食をしている記述があります
「断食」で心身をノマド化していこう
実は断食は健康にいいのでは。昼の弁当抜きは出来るかもな、晩飯時はひどい空腹状態だろう。
でも、上のブログでは
「しかしこうした空腹感は実のところきわめて心理的なものであって、本当に身体的に飢餓状態に入っているわけではありません。そもそも人間は水分だけきちんととっていれば、数週間から1か月以上は何も食べなくても生きていけるようにできています。」
と述べられていまます。うーん、やっぱり腹がすくから三食食べたいw情報過多と知恵不足のようなことは思う。昔の方が情報は圧倒的に少なかったけど知恵は圧倒的に多かったんじゃないかな。いつでも知識が得られるがほとんど頭に残らず経験も机の前に座っていることが多い。もちろん、人によって全然違うんでしょうけど。
まあ、昔のような生きる知恵みたいなものは必要なくなってるともいえるか。。。病気になれば病院があるし、鶏を捕まえてさばいて食べる必要もないし、野草を食べる必要もないし
情報と知恵、経験に似た話というか、もっと端的に出ている話があります
-----------------------------------------------------------------以下引用
記憶は創造の源泉 (ほぼ日刊イトイ新聞 糸井さんと米原さんの対談)
本当は脳がやっていた、いわゆる雑用部分をぜんぶ機械に任せてしまって、
最も創造的なクリエイティブなところだけを脳がやる‥‥おいしいところだけ‥‥というふうに
人間は、していますよね。
だから、肉体労働だけじゃなくて、脳の雑用もぜんぶ、何かに任せてしまう。
でも、おそらく創造的な力って
記憶力と、すごく関係していると思うんですよ
「不定形な記憶(自転車の乗り方のような)すらも、モノの記憶に乗っかってあるから、
モノの記憶をなくすと(創造が発生し)「ない」んですよ。
記憶というのは、入れ物というか、乗りものみたいなものなんですよね。
いろんな情報処理の雑用とか計算能力とか、そういったいろんな筋肉を使っていて、
そのベースの上に創造力って花開くんです。
今、どんどんどんどんそれをそぎ落として、創造力だけを残そうとすると、
ちょうどキャベツか玉ねぎみたいな感じ、まんなかに、何が残るの?ということに
なっていくんじゃないかという気がしますね。
-----------------------------------------------------------------以上引用
雑用だってやってみないと分からないことがあるし、仕事の改善も実際に仕事をしてないと思いつかない、思いつくわけがないんだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿